平成が終わろうとしています。
一つの時代にあらゆる企業が生まれ、そして消えていった中で、エルメスの様に江戸時代から続く伝統的な企業もあります。この違いは何でしょう。

「伝統は燃え尽きた灰の崇拝ではなく、火を守り続ける事」というマーラーの言葉がありますが、彼が物心ついた頃からあるようなエルメスやルイヴィトンなどのブランドの広告戦略は、商品に後れを取る事はあっても商品を置き去りにすることはありません。なんか意外とダサい広告だなって思う事、よくありますよね。
商品をより良くみせれば数字は上がりますが、彼らは数字を上げる事よりも商品に対する満足度が下がる事を恐れます。そして、殆どの伝統的ハイブランドがそうであるように、商品自体も絶えず進化を繰り返しています。そうやって確実に消費者の心の奥深くに浸みこんでいきます。

このような本物のブランド戦略は、メーカーと広告デザイナーの間に揺るぎない信頼があって初めてとれる戦略です。宣伝費を使えば数字が上がって欲しいと思うのがメーカーですし、「ほら、うちのデザインでめっちゃ売れたでしょ?」ってエエかっこしたいのがデザイナーですからね。もちろん、そういう広告手法もあります。でもそれは「ブランディング」ではありません。

経験によって蓄積された記憶が、心という深い湖を満たしています。
外界からの様々な刺激によって想起され、心の水面に浮かび上がる観念が、無数の行動の選択肢を描き出します。これらの記憶は、湖に降った雨の様なもので、対外的な認識の記憶にとどまります。
これに対して、これらの選択肢から行動を選び出す記憶・・自らの奥深くに浸潤し融合し、もはや自分自身と区別がつかない記憶・・これが自我です。
選択肢を提起する販売戦略ではなく、選択する側の自我と融合する記憶を形成するための販売戦略が本当のブランディングです。ネット上で散見されるような差別化やターゲティングを謳った「THE ブランディング戦略」を否定するつもりは全くありませんが、表面的な小手先のブランディングでは、水たまりの底は浚えても湖の底には辿り着けない。一朝一夕にはできない覚悟をもって取り組むべき戦略です。