先日、「水曜日のダウンタウン」というTBSの番組で「三遊亭小遊三の名前が間違ってても誰も気付かない説~~」というのをやっていました。
よく人間は思い出せないだけで、実は全ての情報を記憶している・・・なんて言われますよね?一体どこまで細かく記憶しているのでしょう?
例えば我々は視覚で色を捉える際、物体の分子構造によって吸収されずに反射した光の組み合わせで色を知覚しますが、その光は絶えず振動しています。周囲をロマンチックに真っ赤に染める夕焼けの赤色光は可視光線の中で最も波長が長いですが、それでもウィキ先生によると405~480THZ。きりの良いところで400としても1秒間に400兆の振動を行っていることになります。これはベルグソンの「物質と記憶」で読んだ話ですが、ジークムント・フォン・エクスナー(ロールシャッハテストのJ.E.エクスナー博士ではありません)によると人が認識できる最小の時間の間隔は2/1000秒、つまり1秒間の赤の光の振動を人間が充分に認識しうる間隔に引き伸ばしたとすると全部を知覚するのに25000年かかるって事だそうです。浦島太郎もビックリ・・・さすがに記憶してるわけないですよね。こりゃあ無理無理ってことで、人が普通に認識できる範囲の2/1000秒毎にパシャリパシャリと1枚ずつ連写して記憶の中に保管しているとします。これでもたった1日で4320万枚(夜寝ている間も黒や瞼を透かして差し込む淡い色を認識してるとして)、一年で157億6800万枚なので、80歳まで生きるとしてざっくり1兆2614億4000万枚の写真を保管していることになります。
人間の視野の解像度に関してネットを色々検索してみたところ、GIZMODEさんのホームページによれば5億7600万画素だそうです。256の8ビットとしても3バイトで17億2980万バイト・・・つまりたった1枚で約1.611GB・・・が、1兆2614億4000万枚?(^^;)
PCの関数計算機の御厄介になって計算すると1.848ZB。テラの上の上の上「ゼタ」、う~む最早聞いたこともない単位ですが・・・馬鹿げた容量が必要なことだけは分かります。
知覚できる範囲に限定したとしてもこのボリューム、しかもこれは視覚だけの話です。そんなに記憶容量があるものなんでしょうか?
最近ふと思うのは「もし観念が行動を経験に基づき決定づけるために想起する記憶であるとすれば、人は知覚する際に、初めから自分のデータベースに不足している情報だけを取捨選択して知覚し、それだけを記憶しているのではないのか?」という事、つまり知覚自体そもそも虫食い状態で見ているのではないかという事です。
ベルグソンも、ゴルトシャイダーとミュラーが行った判読に関する実験で、わざと間違った文章を暗がりで読ませた際、殆どの被験者が「間違って正しい文章を読み上げた」ことに触れ、知覚は観念によって浸潤され補完されていると言っています。ただそのベースには純粋記憶が暗黒大陸のように横たわっていると言っているのです。僕はほんの少し読みかじっただけですから偉大な哲学者が言わんとしていることの本質は何も解っていませんが、彼の本はものすごくロジカルで納得のいく内容だからこそ、自分の経験に基づく悟性から先の画像容量を思った時に、全記憶を保持するなんてできるわけがないと思ってしまいます。こうなるともう、神様とかに登場してもらって、押し付けるしかありませんよね。。
水曜日のダウンタウンの「三遊亭小遊三の名前が間違ってても誰も気付かない説~~」は、ブログタイトル同様ポスターの名前が「三遊小亭遊三」になっていましたが、予想通り誰一人気付かず説は立証されました。おそらく知覚されるのは顔写真と「三遊」くらいで、後は正しい漢字が観念によって脳内で合成されるのでしょう。後ろの「小亭遊三」は、きっと困り顔の神様に押し付けられているはずです。
「水曜日のダウンタウン」・・・とても為になる番組です。。・・・それに引き換え、まったく為にならないブログに最後までお付き合いくださり、ありがとうございましたm(__)m