今年も沢山のお客様、友人に支えられて無事一年過ごすことができました。
ありがとうございました。
今年の四月で五十になり、色々と物事の見方が変わってきた・・・というか、若い頃思いもしなかったことに気付くようになってきたと感じます。
信長を題材にしたドラマや小説で有名になった「厚盛」の序に、「思へばこの世は常の住み家にあらず、草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし」という一節があります。この後、おそらく平家を皮肉っているんだろうと思われる比喩が続き、その後有名な「人間五十年、化天のうちを比ぶれば~」と続くわけですが、昔はこの世の無常を儚む歌詞だと、どちらかといえば後ろ向きのニュアンスに捉えていたのですが、直実にしろ信長にしろ、少なくとも「無常」という言葉に、実は諦めや厭世観の様なものは無かったんじゃないかと思うようになりました。
「無常」といえばまず徒然草が頭に浮かびますが、ここでも吉田兼好は「実の大事は、猛き河の漲り流るる如し、暫しも滞らず、直ちに行いゆくものなり」と言っています。※もしかすると仮名漢字や言葉尻は記憶違いかもしれません(^^;)
実の大事というのは人生の事です。人生は絶えず激しく流れていく大河のようなものだから、タイミングを計っている余裕なんてないよ!と言っているんだと思います。昔の人々は無常だから諦めて流されるのではなく、無常だから全力疾走で生きたのです。
若い頃は浅はかで、もしかして俺って天才じゃない?って思ったり、世の中の流れを変えてやる~!なんて思ったりしますが、人が作る流行なんて、大河の横に掘った細くて短い用水路です。社会現象とはなりえるかもしれませんが、歴史の本流ではありません。
死は人生の先で待っているのではなく、生まれたと同時に後ろからヒタヒタとついてくるものです。もういつ追いつかれて肩を叩かれても不思議じゃない年ですので、来年は流れに抗って逆行したり、用水路に逸れたりせずに、本流の流れに棹差して進んでいきたいと思います。来年の事をいうと鬼が笑うといいますが、大いに笑っていただきましょう。笑う門には福来るです(笑)