Prague, Czech Republic - October 4, 2015: Signboard of restaurant "Sarah Bernhardt" in Old Town Prague, Czech Republic.
2月3日の休みを最後に怒涛の55連勤!無事走り抜きました。後半、体力的にはかなり厳しかったですが、キャラクターデザインで絵を描く仕事だったので気持ち的にはとても楽しい仕事でした。今月だけでも過労死ラインぶっちぎりの時間外労働169hでしたが、実際のところ、毎日朝4時から釣りをした後仕事だったのが、最初から仕事に変わっただけ。平均夕方5時には仕事が終わり、土日は意識して8hに抑えたので、夕まずめの釣りと自炊・雑用に3h掛かったとしても平日なんとか7時間、土日は余裕で9時間の睡眠は確保できます。もちろん適正な範囲のストレスはありますが好きな仕事なので楽しさの方が勝ちます♪睡眠と充分な栄養さえ摂取できれば短期間ならなんとかなりますね。

ということで、健康のため暫くサボります。熊本でやってるミュシャ展を見に行くつもり。美術史的にはアール・ヌーヴォーの画家という事になるんでしょうけど、僕の中ではグラフィックデザイナーの先駆け。古いしきたりから脱却しようとしたゼツェッションの中で、芸術は支配階級の庇護を離れて大衆の生活と結びつきました。アーティストのパトスとアルティザンのエトスの融合が自然発生的に起こり、文化活動としてのアートと経済活動としてのデザインの狭間で開花し、そして苦悩したのがミュシャだと思います。全く境遇は違いますが、ちょっと田中一村と被りますね。しかし、ミュシャより2歳年下のクリムトにしてもシーレにしてもそうですが、旧オーストリア帝国というところは個性的なアーティストが多いですね。何でだろう。。

印象派の代表格として有名なモネが生まれたのが1840年、後期印象派のゴッホが1853年、ミュシャが1860年生まれ。ウィーン世紀末派のクリムトは1862年、フォービスムのマティスが1869年、キュビズムのピカソが1881年。たった40年程の間で同時多発的に沸き起こり、目まぐるしく移り変わった芸術トレンドを、そのど真ん中に生まれたミュシャはどんな思いで見ていたんでしょうね。
モネとミュシャでタモリとウッチャンナンチャンくらいの年齢差。ミュシャとピカソでウッチャンナンチャンとガリガリガリクソンくらいの差です。つまりタモリからガリガリガリクソンまでの間に印象派→後期印象派→アールヌーヴォー→世紀末派→フォービズム→キュービズムと変遷したわけです。ヤバくないですか?お笑い第7世代どころの変化じゃない気がするんですけどね。。