平土野港の夕暮れ

こんにちは。本土はまだ寒い日が続いているのでしょうか?こちらは今日は暴風ですが、昼間は窓全開にして半袖短パンで仕事をする日が多くなってきました。冬の渡鳥達もそろそろ北へ帰る準備を始めます。
昨日2月27日で徳之島へ来て、ちょうど一年が経ちました。お陰様で毎日楽しく遊んで、楽しく仕事しています。この島へ来て一番良かったと思うのは、やはり毎日のように目にする美しい風景ですね。以前にも書きましたがきゅら島オフィスの「きゅら」というのは島の方言で「美しい」という意味です。空気が澄んでるので、遠くの山の稜線、遥か上空の雲の細かな輪郭まで、手で摘まめそうなほどクッキリハッキリ見えます。16才の時、神戸の県立美術館で初めて観たバルビゾン派の風景のあまりの美しさに、画家が頭で描いた作り物の風景だとずっと思っていましたが、その絵画の風景がそのままに広がっています。月夜は街灯1つない海辺でも波の表情や雲のカタチもハッキリ分かりますし、闇夜は正に一寸先も見えない真の闇で、逆に星座を見つけられなくなるほど大量の星、圧巻の宇宙に包まれます。
年配の方の話では、昔に比べると生物も減っているそうですが、今の季節はクジラが目の前で潮を吹き、イルカは一年中ソコソコのペースで見る事ができます。ウミガメに至っては姫路城のお堀のミドリガメ並みにそこら中にいます。魚は、ほぼ自分で釣った魚と沢山釣れた釣友に貰った魚で賄い、スーパーでは結局二回しか買わずに一年が過ぎました。
冬の間、島には渡鳥だけじゃなくオリンピック代表選手を含む実業団の陸上選手達も合宿にやってきます。徳之島の場合は女子選手の比率が多いのですが、夜明け前の真っ暗な時間に釣りに向かってると、もう彼女達は既に走っています。土砂降りの冷たい暴風雨の中でも。。自分一人のためというだけじゃ、とても耐えられる練習量じゃないと思いますが、国民の期待や周り皆の期待を背負ってると思うからできる努力なんでしょうね。
その選手達も殆どが今週それぞれの本拠地に帰って行きました。
オリンピックの開催に関して、世間では人それぞれ色んな意見があるでしょうが、僕自身はどの様な形でも開催してほしいと思っています。殆どの若い選手達がその半生、才能の上に大人が泣いて逃げ出す様な練習を積み上げてきた結果の檜舞台です。仮にコロナの影響でうちの会社が潰れたとしても、100%社長である僕の責任です。そして一からやり直せばいいだけの話ですが、今選手生命を賭けてギリギリの練習でピークを迎えている選手が3年後にやり直せるとは限りません。そしてオリンピックの開催可否に関して彼らには何の責任もありません。
経営者の立場で考えると、創業当初から20年くらい社運をかけて投資・開発してきた商品がようやく完成したタイミングで法律が変わって永久に販売できなくなったようなもんですよね?(^^;)
或いは百歩譲って仮に中止になったとしても、精神的にも鍛え続けてきた彼ら自身は耐えられるメンタルをもしかしたら持っているかもしれません。しかし、スポーツにかける多くの若い子らの夢の舞台さえ守れなかった、期待するだけ期待して、頑張るだけ頑張らせて梯子を外した、我々情けない大人達は耐えられるのかしら?
僕は嫌だなぁ~、「最近の若いもんは・・・」て、エラそうに言えなくなるの。