Inside of Nautilus Shell Showing Spiral

台風2号が目前に迫った徳之島。この週末、楽しみにしていた、内地からの客人とのカンパチジギングも延期です。なので、先月から出張講師に行ってる広告代理店の新人デザイナーさんの週末講師にも恙なく伺えることと相成りました、メデタシメデタシ。

さて突然ですが、皆さんは不思議に思われないでしょうか?世の中には様々なデザインが溢れていますが、誰でもそれを見て、一目で無意識のうちにいいデザインかそうでないかを判断しています。これって不思議ですよね。好みの差はもちろんありますが、それを置いても純粋にデザイン的に優れているか優れていないかは、デザインに関して専門の勉強をした方も、そうでない方も“誰でも”ほぼ同じような判断をします。これはどういう事か、極論ですが一言で言ってしまえば、見慣れているかいないかです。人が安心感を持って目の前の現象を見ていられるのは、過去の経験から、その先どうなるか予想がつくからですが、見慣れていないものに関しては不安を覚えます。殆どの人がギクシャクした直線で構成されたデザインよりも曲線で構成されたデザインを優美だと感じるのは、一つ一つの線分が自己完結して次に何処に進むか分からない直線よりも、そのカーブがこの先どの点を辿りながら進むか想像がつく曲線の方が安心感があり、その余裕を優美と判断するからですね。
全く踊れない僕でもダンスの上手な人と下手な人の判断がつくのも同じ理由です。下手な人の動きってギクシャクしてて次の動きがイメージしてるものと違うんですよね。
よく世間では、デザインに関して「黄金比」というのがもてはやされますが、「黄金比」の正体が何かといえば、単に“世の中で一番ありふれた構図”という事です。

ということで、僕が思うデザインを習得するに当たって、まずしなければならない事が何かというと、“どれだけ人よりも色々なものを数多く見るか”という事。他人の作品でも自然の風景でも真っ白なコピー用紙でもいい。まず色々なものを意識して見る事によって、対象のオーディエンスが見慣れているものと見慣れていないものの境界をなるべく精確に掴む。それがカッコいいデザインとダサいデザイン、優美なデザインと俗悪なデザイン、新しいデザインと古臭いデザイン、面白いデザインと退屈なデザインの境界を掴む一歩となり、目的に応じたデザインを制作する一歩となる。そう考えています。

更に核心に近い事を言うと、ダビンチは「他の画家を真似るのではなく、自然から学べ。」と言いましたが、これは自然の美しさを芸術の美しさに先立つものとして定義した場合には正論かもしれません。しかし実際問題、自然の山々が如何に調和のとれた造形をもっていても、如何に森を抜ける風の音色が優しく耳に響いたとしても、自然から美を切り取り、人智を絞って再構築した芸術より、本当に人の心を揺さぶるでしょうか?「雨音はショパンの調べ」という歌(結構好きでよく聞きましたが古い?^^;)がありましたが、やはり僕は、自然の雨音よりもショパンの曲に感動します。
もちろん相手は自然なので、確かに人間では手も足も出ない、全く太刀打ちできない感動を突き付けられることはあります。しかし、デザイナーの仕事は、“如何に高い確率で一定の情動に訴える事ができるか”という事です。なので、これからデザインを勉強しようという人には、他人の作品もどんどん見てほしい。少なくとも海や山を見ているよりはデザインを知る近道です。

デザイナーの引き出しの多さは見たものの数と比例します。若い頃は少ない引き出しでも質のいい仕事ができるよう、いいデザインをドンドン見ましょう。そうすれば経験が浅くても、あっという間に向こうでふんぞり返ってるベテランに負けないデザインができるようになります。ぶっちゃけ我々世代は、引き出しがどれだけ沢山あっても、何処に何が入ってるか半分くらいしか覚えてませんから。。